北島三郎さんの付き人として芸能界入りした演歌歌手の小金沢昇司さんが、呼吸不全のため65歳でお亡くなりになりました。
2022年の夏にコロナに感染して、その後に誤嚥性肺炎を発症して入退院を繰り返していました。
のど薬のCM「歌手の小金沢君が使っているのはフィニッシュコーワ」に出演して、一躍人気者になりました。
この年の流行語大賞の大衆部門で、「歌手の小金沢くん」が銀賞を受賞したほどでした。
そんな小金沢昇司のご実家はラーメン屋さんですが、どんな方なのか気になりますよね?
小金沢昇司の実家はラーメン屋!父親と母親や家族構成についても!についてご紹介します。
この記事で分かること
↓
・小金沢昇司の実家?
・家族構成
小金沢昇司の実家はラーメン屋!
小金沢昇司さんの実家は、神奈川県大和市にあるラーメン屋さんを経営しています。
ラーメン店は36年間営み、そこではおでんも出していたそうです。
幼い時から母親の作ったおでんは”おふくろの味”でした。
母親の作っていたおでんは、見た目は関西風で薄味のように見えますが、食べるとしっかりした味だったそうです。
小金沢昇司さんはお酒とたばこが好きだったので、お酒に合う濃いめのおでんだったのでしょうね。
大和市は神奈川県のほぼ中央にあり、東京都と横浜市に隣接しています。
神奈川大和阿波踊りが有名で、米軍基地とす自衛隊の厚木基地があります。
フィニッシュコーワのCMでブレイクした小金沢昇司さん。
— mizarou(ミザロー) 元P業界 元FCオーナー あらゆる情報を視覚的に分かりやすくご提供 (@code_economy) January 15, 2024
ご冥福をお祈りします。
KOWA 興和製薬
歌手の小金沢昇司さん死去 65歳#Yahooニュースhttps://t.co/3bgx4wlLGO pic.twitter.com/fik4AeegxR
小金沢昇司の父親と母親や家族構成
小金沢昇司さんの父親と母親は、ラーメン屋さんを36年間続けていました。
兄弟はお姉さんがいっらっしゃるそうです。
大分お若い頃からお店をされて、昇司さんとお姉さんを育てたのですね。
父親と母親について見ていきましょう。
【訃報】歌手・小金沢昇司さんが死去 65歳https://t.co/qTcxZ6Mp67
— ライブドアニュース (@livedoornews) January 15, 2024
歌手の小金沢昇司さんが1月11日に死去したことが所属事務所から発表された。北島三郎の付き人として芸能界に入り、のちに演歌歌手としてデビュー。「フィニッシュコーワ」CMの「歌手の小金沢君」で一躍ブレイクした。 pic.twitter.com/ADm1rvEsD3
小金沢昇司の父親と母親
父親の名前は分かりませんでしたが、母親は正子さんです。
正子さんは2023年の8月に80歳でお亡くなりになっています。
小金沢昇司さんは、当時64歳ですから16歳で出産されたのですね。
正子さんは認知症のため歩行が困難になったため、2006年から施設に入所しています。
昇司さんは2008年50歳の誕生日の日に、母親のために施設でミニコンサートを開催しています。
その時入所者や家族200名を前に、ヒット曲「ありがとう…感謝」を涙をこらえながら丁寧に歌っていました。
正子さんの気性は、カラっとしていたそうですよ。
小金沢さんが昔よく通っていた東京・新宿のおでんや「おぎん」の女将さんが、母親に顔も気性も似ていていたそうです。
今は閉店していますが東京・新宿のおでんや「おぎん」がお気に入りで、女将さんが母親に顔も気性も似ていてよく通ったそうです。
引用元:スポーツ報知
1月11日に亡くなる時に、昇司さんの姉とお子さんや親族が最期を看取ったそうです。
小金沢昇司の家族構成
小金沢昇司さんの家族構成は、妻と子供3人がいらっしゃいます。
小金沢昇司さんは、34歳の1992年9月に一般の女性と結婚しています。
二人の馴れ初めは新宿のスナックだそうです。
ご結婚前は化粧品会社で働いていたそうですので、とても美人な方なのでしょうね。
お子さんは3人いて、長男は俳優の小金沢雅弘さん(28歳)です。
2014年2月に小金沢昇司さん主演Vシネマ「兄弟挽歌」で初共演しています。
当時は国士舘大学の1年生で俳優やモデル活動をしていたそうです。
引用元:スポニチ
小金沢昇司のプロフィール
小金沢昇司さんのプロフィールについてご紹介します。
名前:小金沢昇司(こがねざわ・しょうじ)本名
生年月日:1958年8月31日(65歳)
出身地:神奈川県大和市
身長:175cm
血液型:AB型
特技:サーフィン・空手
小金沢昇司の経歴
小金沢昇司の経歴についてご紹介します。
中学・高校時代:不良少年で喧嘩っ早かった。
友人に暴走族間権者が多く、神奈川県内の警察署はほとんど泊まったことがある
25歳:歌手になる夢が諦められず、「料理の修行のため」と両親に嘘をついて上京。歌舞伎町のクラブの調理場で働きながら音楽専門学校に通う
北島三郎さんの看板を見て弟子入りを決意、4年間の付き人兼運転手を務める
1988年:「おまえさがして」で歌手デビュー
1992年:CM「フィニッシュコーワ」で「歌手の小金沢くん」で「新語・流行語大賞」で銀賞
歌手として44枚のシングルを発表「ありがとう…感謝」「北の三代目」「神楽坂」など
2014年:26年間所属した北島音楽事務所から暖簾分けで独立、ジャパンエンターテイメント設立
2020年11月:酒気帯び運転で逮捕、自身が経営する芸能プロダクションが破産
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