イオアナ・バビウクはイタリアでも批判されている!最優秀女性審判員?

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パリオリンピック柔道の混合団体戦決勝で、日本は開催国フランスに敗れ2大会連続の銀メダルとなりました。

第5試合66キロ級の阿部一二三選手が73キロ級銀メダリストのジョアンバンジャン・ガバ選手と対戦しますが、3枚目の指導をださない審判に不信感が殺到しています。

男子90キロ級五輪初出場の村尾三四郎選手も、内股を決めるもが技ありと判定しなかった女性審判です。

女性審判はイタリアでも批判されていて、女子52キロ級のオデッテ・ジュフリーダ選手が指導を3つ受けて反則負けをしています。

イタリアの柔道連盟は、この女性審判員に正式な審査要請と苦情を申し立てましたが、国際柔道連盟は「苦情は根拠がない」と主張しています。

そんな女性審判はどんな人なのか気になりますよね?

イオアナ・バビウクはイタリアでも批判されている!最優秀女性審判員?についてご紹介します。

この記事で分かること

・イオアナ・バビウクはイタリアでも批判
・最優秀女性審判員

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イオアナ・バビウクはイタリアでも批判されている!

女性審判員のイオアナ・バビウク氏はイタリアでも批判されています。

イタリアの柔道連盟は、この女性審判員に正式な審査要請と苦情を申し立てましたが、国際柔道連盟は「苦情は根拠がない」と声明を発表しています。

女子52キロ級でオデッテ・ジュフリーダ選手が指導を3つ受け、銅メダルを逃しています。

イタリアの五輪委員会のマラゴ会長は、「準決勝での同じ審判員が決勝にも送られた事実は、控えめに言っても考えさせられる審判だった」と言及しています。

ジュフリーダ選手のコーチにによると、イオアナ・バビウク審判とは長い因縁の歴史があり、この女性審判になるとイタリアは必ず負けになるということです。

同じように男子81キロ級の3位決定戦で、イタリアのアントニオ・エスポジト選手は、タジク人のソモン・マジマドベコフ選手にこの女性審判で敗れています。

ジュフリーダ選手は涙を流して、「他人を責めるのは好きではないが、あの審判は私のことを好きではない」と話しています。

アントニオ・エスポジト選手は、「メダルなしで帰国するのは痛い、自分の方が強いと思ったからではなく、信頼していたからだ」と説明しました。

どちらの選手も銅メダルが獲得できたかもしれないと思うと、イタリアとしては因縁の女性審判になりますよね。

イオアナ・バビウク氏はルーマニア人でイタリアの植民地でしたから、イタリアをひどく嫌っているのでしょうか?

イオアナ・バビウクは最優秀女性審判員?

イオアナ・バビウク審判は最優秀女性審判員です。

2023年ヨーロッパ最優秀女性審判員で、2024年国際柔道連盟(IJF)世界審判ランキングで最優秀女性審判員です。

国際柔道連盟(IJF)はバビウク審判を「IJF審判員は世界最高であり、過去4年間の世界柔道ツアーで繊細な仕事を培った」と高い評価をしています。

これほど素晴らしい経歴を持った方が誤審と言われていますが、パリオリンピックは「誤審ピック」とも言われていますね。

イオアナ・バビウク審判が、最優秀女性審判員になるまでの経歴を見ていきましょう。

イオアナ・バビウクのプロフィール

イオアナ・バビウク氏のプロフィールについてご紹介します。

12歳の時に父親を亡くしていて、男子にいじめられると父親がいつも守ってくれたそうです。

おてんばな性格だったそうで、柔道を始めれば男子たちに勝てると思ったのがきっかけで柔道を始めています。

イオアナ・バビウク氏は強い信念をお持ちなんですね。

名前:イオアナ・バビウク(Ioana Babiuc)

生年月日:1975年1月7日生まれ(49歳)

出身地:ルーマニア・ヤシ

イオアナはわずか 12 歳のときに柔道の世界に近づきました。「その年齢で私は父を亡くしました。私は、彼が生きていた頃のような保護がもうなくなったと感じたので、一見厳しいスポーツをすることを選びました。


引用: Povestea Ioanei Babiuc! A început judo la 12 ani, după ce și-a pierdut tatăl!

イオアナ・バビウクの経歴

イオアナ・バビウク氏の経歴についてご紹介します。

12歳から11年間柔道を続け、72キロ超級で23歳の時に柔道を引退しています。

柔道選手としての成績は、1992年ルーマニアU21選手権ブカレスト・ヤシでアンダー61キロ級で銀メダルを獲得しています。

イオアナ・バビウク氏は、体育大学に行くためにヒドロテニカに上京して、大学卒業後に数年間就職します。

柔道は引退していましたが自身の試合を審判していた元審判員に、偶然出会ったことがきっかけで審判の道に進みます。

2000年代初頭に、審判になるコースを学び、欧州大陸レベル、国際審判の資格を取得。

IJFの主要大会、東京パラリンピック、2012年ロンドンオリンピックで審判を務めています。

イオアナ・バビウク氏は「畳の上にいるとすごく気持ちがいい、柔道の世界のために生きて、大きな満足を与えてくれた」と話しています。

ルーマニアの選手とは、公平中立を示すために距離を置いているそうですよ。

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